先日、桜新町に行きました。
サザエさんを見付けて何となく笑えました。
サザエさんのお母さんフネさんはいつも和服で白い割烹着をして台所で家事をしています。
何時から割烹着が一般的になったのかな?なんて思いなから歩いていました。
大正生まれの母はいつも割烹着で、お客様が来た時だけ取る様な感じだったと思い出しました。
割烹着に頭には布巾を被り、着物や髪をよごれないように生活していました。
着物は普段着の場合は木綿やウール、紬、絣などを着ていたはずです。
母も自分で着物をほどいて洗い張りしたり、布団にしたり色々作っていました。
エアコンも床暖房もない時代ですから、常に換気のため窓を開けていて、田舎だから玄関も開けていたと思います。
今考えると空き巣や引ったくりも聞いた事がなく田舎だからなのか、時代なのか?
無事に過ごせた事に感謝です。

ところで波平さんの髪の毛は2回も抜かれたらしいですね。銅像を壊す事になるのに何故そんな事をするのか不思議です。
いろんな人がいますね。